2007年11月25日
作品No.070 キンモクセイ
持ち主:キンモクセイ
どんな人?:反応がゆっくりな人、ノバラが好きな人

紙のタイトルは「しあわせ言葉遊び」幸せと結び付く言葉を思い浮かべて娘と書き込みました。まだまだたくさん遊べるとは思いましたが、敢えて未完成のままです。
しあわせの「し」に死が書き込んであるのは、決して死をネガティブなものと捉えていない為、また物質的な死のみでなく広い意味で捉えている為です。
死もいのちのプロセスの一形態と考えます。
新しい「しあわせ」を生み出す、あるいは「しあわせ」のカタチを変容する前のひとつの在り方なのだと。
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我が家に‘福ふく’が訪れてからこの4ヵ月、“しあわせ”に意識を向ける機会に恵まれました。“自分がどんな時に幸せを感じているだろうか”と。すると意外と何でもないような日常のふとした時に感じていると知りました。
仕事の帰り道、細い細い三日月を見つけた時、
子どもの笑顔、
家族との会話、
優しい風に出会った時。etc.etc.
本当に大切な1コマ1コマ、それぞれをかけがえないと心から思えること。
ところが…思いは、次に進みました。
ある時、失ったら‥という不安がよぎり、立ち止まりました。その不安は幸せとは両立しない感情でした。
幸せはそれらを失ったら、共に消えてしまうものなのだろうか?条件つき(〜があるから)の幸せなのだろうか?
でも、また次に思います。失いたくないと思える位に大切に思えることがあることもまた、幸せ。
今この瞬間にしか、あり得ない“カタチ”でそれぞれが、そこにいてくれている実感。次には移り変わっていくからこそ、かけがえのなさは強まり、その瞬間への愛しさを覚えます。
“今この瞬間に生きる”ことができる子どもたち。先の心配をせずに、恐れをもたずに、瞬間に没頭することができる子どもの在り方そのものに“しあわせ”とが結びつきました。
‘福ふく’は変わらぬ“カタチ”でいつもそこにいてくれています。私がどんな状況にいる時も、微笑みをたたえて。頭からまっすぐ伸びたとんがりで天との繋がりを保って。
いつの間にか、その“カタチ”の存在“福ふく”は私の内側の動かぬ中心、同時に“今この瞬間に生きる”ことができる私の中の“内なる子ども”を、目に見える“カタチ”で顕れて、そこにいてくれている存在に育っていました。
『ワタシ(=シアワセ)はイツモここにイルヨ』と。
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